賢者の創作石

Philosopher’s Art Stone

鼓動 坂東玉三郎氏 「幽玄」 記憶

 

今朝 眼が覚めた時、床の中で


ふと、横にあった携帯(私はガラ石)のTVをつけた。

 


家にはTVはないので久しぶりに見たTVには

 

歌舞伎俳優の坂東玉三郎氏が写っていた。

 

和太鼓グループ「鼓動」との特別講演「幽玄」の特番だった。

 

 

「鼓動」と言えば。。。。。


随分前に東京に住んでいた時期

 

東京在住の個性あふれるいろいろな国の友人たちがこぞって佐渡島


アース•セレブレーションだったか音楽フェスティバルに数年続けて出掛けて、

 

戻ってきては興奮覚めやらずその様子を語っていたのが想い出された。


あの「鼓動」かぁ。


佐渡島から戻ってきた友人たちの目が生きてる!っていう感じに煌めいていて


ジャンベやダラブカなどの楽器を持って行っていたので、和太鼓とセッションしたとか


情熱的に語っていたので、自分もまるで参加したかのような記憶。

 

 

 

坂東玉三郎氏は歌舞伎の方はあまり拝見したことがなかったけど


チェロ奏者のヨーヨー•マ氏とのコラボレーション『祈り』を映像で観た時


妖艶な美しい動きと間、表情に圧倒され、繰り返し繰り返し観た。


その時は自分自身も踊りというものにハマっていたからかもしれない。


この映像や映画『ラッチョドローム』の中に出てくるジプシーの踊りや


グルジェフの半生を描いた映画『注目すべき人々との出会い』の中の舞踏などが


同時に蘇ってきた。

 

そしてパラジャーノフ

 

パラジャーノフの数々の映画の中の踊りのシーンも含めたSTILLのようなシーン。


彼の映画は私にとっては(いや、私にとってだけじゃないと思う)

 

トーリーよりも印象で残る。


この世を旅立つ時に見るという人生の集大成の走馬灯のような映像って


もしかしてパラジャーノフの映画を想い出すような感じなのかなあと思ってしまう。

                                                                          ( I love you!   Sergei•Parajanov! )

 
これらは私の潜在意識を構成している一部なのだなあ、きっと。

  

 

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そして「幽玄」は能楽にインスパイアされた、、、という関連映像で


子供の頃、(今は亡き)おばあちゃんが能の謡を練習していた声が蘇ってきた。


その頃は低ーい声を絞り出すようで変な歌い方だなーと思っていた。


後に女性は能の舞台には立てないらしいと知って、


何で練習しているのかも意味がさっぱりわからなかった。


夏休みにおばあちゃんの家に泊まる時は能面の飾ってある部屋で寝るので


夜中に起きると無表情の能面が見下げていて

 

ひどく恐ろしい思いをしたことまで蘇ってきた。

 

恐ろしい顔の能面より無表情の能面の方がずっと怖かったな。そういえば。

 

 

 

何か印象的な事件があったわけでもない記憶というのは


こういうトリガーがないと なかなか出てこない。


引き出しにしまいっぱなしにしていた。

 

 

 

私は普段、心の内をすべて書きたいとは思わない。


こんな個人的なことを書くことにどういう意味があるのかもわからない。


だけど、私の未来の出来事の何かの伏線であるか、


読む誰かのインスピレーションに繋がっているかの


どちらかぐらいであることはわかっている。

 


それは、朝目覚めた時であったことと、

 

’ふと~した’という動作があったから。


その上、心の動きを書き留めて置きたくなったから。

 

 

もっと微妙なケースも多々あるけど、


こういう時は明らかな心の指示であると受けとめている。


人の指示は従っても従わなくてもいいと思うけど


心の指示は従わないで積もり積もるとバランスが崩れる。


小さな世界の意味でも大きな世界の意味でも。

 

 

 

『潜在意識』と『心』という言葉の境界線がいまいちわからない。


『潜在意識』と『心』という言葉は同じものなのだろうか? 

 

関連はあるとしても違うものなのだろうか?

 


インスピレーションは自分とのコード、この世界とのコードのような

 

役割をするような気がするけど。


へその緒のような。

  

うーん。 く( ̄▵ ̄)

 

 

 

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