書き忘れてごめんなさい、パラジャーノフ
昨日インスタグラムから届いたお知らせメールの中に
フォローを促す『パラジャーノフ•ミュージアム』が入っていて
(今は亡き)氏が監獄の鉄格子ごしに両腕を開いて
ハグのポーズをしている写真が見えた。
たぶんフェイスブック関連でそれが入っていたのだと思う。
フェイスブックとインスタグラムはオープンではなくて
海外散り散りの家族親戚と数えるほどの友人のみの閉じられた使い方をしている。
(『フレンズと諜報機関のみ』の設定ってヤツ。冗談^.^ 流行ってたからついつい)
アルメニア語なので全然読めないけど写真が何かを訴えかけてきた。
わかってるわかってる。
5月3日にアップしたブログ記事ですっかり抜けていたパラジャーノフ氏。
ひっかかってはいたけどわざわざ修正はしなかった。
だってもうアップしちゃったんだもん。
昨日お知らせが来てもまだ修正しなかったら今日もまた促された。
フォローじゃなくて記事の修正。
だから観念して修正した。
パラジャーノフ氏のことを青で追記した。
こういう受けとめ方はヘタをすると妄想癖になることは百も承知している。
でも自分の外側と内側がマッチするならばそういう風に受けとめるようにしている。
インスタグラムの同じメールが今日も来るのは当然で別に不思議でもなんでもないし
マッチしたのは偶然と呼ぶことも出来るけど。
外側からのお知らせは心が分離した時にその都度その都度来る。
追記するのが『面倒くさい』とか、
『自分にとっては大事かもしれないけど
自分以外の人にはどっちでもいいようなとここだわって変じゃない?』
とか、余計な付随する心持ちがあったりすると分離する。
たぶん本来の自分ならそんなことどうでもよくて
気がついた地点ですぐ追記しているんだろう。
それ以外にも、他のことで怒っているとか、良い悪いに関わらず強い感情がある時も
分離しているような。当然と言っちゃ当然だけど。
素の状態じゃないと本来の自分からその都度分離してしまう? かな?
ここからが言いたいところのような気もするけど
(行き当たりばったり書いてるので、実は自分で展開がわかってなかったりする。
それでもまだ終わってないことだけはわかる。)
マイ電池が切れたので続きは明日に。
(続く)