賢者の創作石

Philosopher’s Art Stone

記憶を取り戻す探偵1

 

<生まれてから言葉を話す前の幼年期>

 

この間の記憶は意識的にはほぼ出てこない。

断片的にあるのかないのか朧げだ。

出てくるとしても写真のように出てくるので

あとから写真で見たのか記憶なのか判別がつかない。

 

 

人によってはあるんだろうなあ。

子供が話せるようになってすぐに聞いた場合は

中にはお腹の中にいた時の話をする子供もいるらしいし。

たとえ話していることの真偽は判別できないとしても。

 

 

とにかく生まれてから言葉を話す前の幼年期の記憶は鮮明ではないので

ここは想像で補ってみようと思う。

つまり失われた記憶を取り戻す探偵のように振る舞ってみようってことで。

根拠と証拠はその後の人生に求めて。

 

 

愛情は父母それぞれから十分過ぎるくらい受けたという感覚はある。

ただし夫婦一体からの感覚はない。それぞれという感じ。

あとから考えると当たり前なことなのだけど

父と母はお見合いで結婚してそれぞれの価値観は正反対というほどかなり違っていた。

 

 

赤ん坊の私は2つの価値観の衝突を目の当たりにしたに違いない。

文化の違いくらいの印象の価値観の違いだったかもしれない。

話せなくてもその衝撃は小さくはなかっただろうと思う。

 

 

そんなことを考えていると、赤ん坊の自分に頭を撫でてヨシヨシとしたくなってきた。

 

 

そして私は言葉を話せなくても反応はしたはずだ。

表現もしたはずだ。

どう表現したのだろうか。

ここはわからない。

でも癇癪を起こしたりということはしていなかったようだというのが

あとから聞いたことでわかる。

どういう反応をしたのだろうか。

 

 

私は、自分の価値観を主張した際に他の価値観と衝突するシーンの

行く末のようなものを目撃したに違いない。

言い争いという形で。

またはそれ以上の。

 

だから自分の価値観を言葉にする時は慎重になるという傾向を

形づくったのではないかと思い当たる。

 

でもその反面で、これは想像の産物なので、もしかしたらだけど

言葉にしない(または言葉にするとしたら曖昧な)文化なら価値観を主張しても

言い争いにはならないという安心感もどこかで得たような気がする。

(でも「文化」って『文』『化』だから、もしかして言葉の使い方間違えているかな?)

 

そう思うと腑に落ちることがよくある。

 

 

 

 

父は(あえて分けるならば)理系で、ストライキを先導したということになって

当時働いていたわりと大きな会社を事実上クビになったということは聞いている。

裁判には勝っていても実際に会社に行くと自分のデスクなどはなくなっていて

結局自分から辞めざるを得なかった状況だったと父からは聞いた。

 

 

その後、自分であるモノを自宅の小さな研究所ともとれるし

工場ともとれる場所で作っていたけど

(ここは目が痛くなって息が出来なくてどうしても

通らなくちゃいけない時は小学生の私は息をせずに駆け抜けた)

父には自分の作ったモノは試行錯誤の末の独自のやり方で

質は最高という自信があるようだった。

 

ある大会社がそれを買い取ったけれども、その理由は倉庫に納め、

自社の従来品を売り切るまでは世には出さないという理由だというのも父から聞いた。

私がいろいろ質問するからなんだけど。

 

もしかしたら母を含め他の大人は聞いていない話なのかもしれない。

それはわからない。

 

その話の真偽はわからないけれど、父の人柄が自分には馴染んでいた。

他の大人たちからは「人がよすぎる人」「お酒に弱い人」という評価を聞いた。

そしてこの「人がよすぎる」には、たいてい「非現実的な」とか「損をする」

という意味が含まれていたのを嗅ぎ取った。

 

 

 

私は父を人として好きだと思う。大好きだと思う。

 

でも私の人生は、父の人生より もっとなんというか

臨機応変に、しなやかに生きたいと思っているとも思う。

 

 

(続く)

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ゼンマイが切れたのでここでいったん留めます。

  

 

 

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